中大木地区木造薬師如来坐像及び両脇侍像なかおおぎちくもくぞうやくしにょらいざぞうおよびりょうわきじぞう
平安時代末期、貴族の美意識にかなった彫刻様式である藤原流の系統をもつ優美な彫刻。
西光寺は七宝瀧寺の元末寺。薬師講が今も継承されている。
中大木にある西光寺は、日根荘領主の九条政基が日根荘入山田村に滞在したときに記した日記『政基公旅引付』に登場する寺院です。現在は薬師堂が残っており、当初屋根は瓦葺きでしたが、昭和59(1984)年に屋根修理をした際に、銅板葺きに変更されています。この時に屋根裏から応永8(1401)年の棟札が発見されていること、屋根瓦の型式から推定して創建年代がその頃であると考えられています。
薬師堂の須弥壇上の厨子に三尊が納められています。本尊が寄木造、両脇侍の日光菩薩が一木割矧造、月光菩薩が一木造と造像技法がすべて異なっています。本尊の柔らかな面立ち、なだらかで奥行きの浅いからだつき、整った衣文表現から藤原彫刻の作風が伺えます。日光菩薩の台座裏に「進上久安元」(1145)と墨書銘が入り、この頃のものと考えられます。また、本尊台座の心棒に祈願文が記されているのは、この時期のものではほかになく、非常に貴重なものです。