和泉国日根荘日根野村・井原村荒野開発絵図いずみのくにひねのしょうひねのむら・いはらむらこうやかいはつえず
延慶(えんきょう)3年(1310)ごろに作成された九条家領日根野村・井原村を描いた絵図。
ストーリーの根幹をなし、緑豊かな風景に、社寺等が記されている。
九条家文書に伝わる荘園絵図で、制作は14世紀初頭であると考えられています。本図の作成時期は不詳ですが、「日根野村荒野開発絵図」以前、延慶3年(1310)の開発の際に、日根荘の日根野村と井原村の荒野の所在地を示すために作成されたと考えられます。
本図に描かれている図像は記号化されていますが、「日根野村荒野開発絵図」と比較することで、鳥居のある社殿が「大井関大明神」(現日根神社)、柵のある三棟の建物が禅興寺、「長瀧庄」の近くの三本松が「穴通社」(現蟻通神社)、ハート形の池が「住持谷池」(現十二谷池)であると判明しています。なお、本図中央を縦に二分する樹木列は、大井関大明神の参道ではなく、荒野が存在する地域を区画するための象徴的な表現であるとされています。