日本遺産 日根荘 Japan Heritage Hinenosho

facebook日根荘の情報をFacebook
からもお届けします

構成文化財の魅力

日根神社末社比売神社本殿ひねじんじゃまっしゃひめじんじゃほんでん

溝口大明神とも呼ばれ、農業用水の恵みを願う信仰が日根荘時代より続く 。後に日根神社に合祀。

日根野村荒野開発絵図ひねのむらこうやかいはつえず」の溝口大明神みぞぐちだいみょうじんに比定されています。もともと樫井川沿いの東上ひがしうえ地区の溝ノ口みぞのくちにあって、当初は日根神社本殿と対面して建てられ、「しも御前ごぜん」と呼ばれていました。文政ぶんせい12(1829)年の「和泉国五社第五日根大明神神社図いずみのくにごしゃだいごひねだいみょうじんじんじゃず」(慈眼院所蔵)を見ると、日根神社参道の入口付近である現在の位置に移されてきたことがわかります。

創建年代は明らかではないですが、神功皇后じんぐうこうごう創建の伝承があります。『三代実録さんだいじつろく』第4巻に「貞観じょうがん元(859)五月七日壬戌 和泉国比売神 列於官社 同八月十三日丙申授無位比売神従五位上」と『延喜式神名帳えんぎしきじんみょうちょう』第4巻にも日根郡十座の式内社となっています。

社殿は一間社春日造いっけんしゃかすがづくり檜皮葺ひわだぶきで、庇柱ひさしばしらの面取りも大きく、繋梁つなぎはりは水平の和様式です。向拝虹梁こうはいこうりょう両端の獅子鼻ししばなだけは江戸時代の後補ですが、組物の多くは桃山時代の様式を現しています。昭和57(1982)年に解体修理を行い、見事な極彩色に復元されています。

《日根神社へのアクセス》 南海泉佐野駅またはJR日根野駅より、南海ウイングバス723「東上(ひがしうえ)」バス停下車すぐ

構成文化財の魅力に戻る

pagetop

Izumisano City All rights reserved 2020