日根神社末社比売神社本殿ひねじんじゃまっしゃひめじんじゃほんでん
溝口大明神とも呼ばれ、農業用水の恵みを願う信仰が日根荘時代より続く 。後に日根神社に合祀。
「日根野村荒野開発絵図」の溝口大明神に比定されています。もともと樫井川沿いの東上地区の溝ノ口にあって、当初は日根神社本殿と対面して建てられ、「下の御前」と呼ばれていました。文政12(1829)年の「和泉国五社第五日根大明神神社図」(慈眼院所蔵)を見ると、日根神社参道の入口付近である現在の位置に移されてきたことがわかります。
創建年代は明らかではないですが、神功皇后創建の伝承があります。『三代実録』第4巻に「貞観元(859)五月七日壬戌 和泉国比売神 列於官社 同八月十三日丙申授無位比売神従五位上」と『延喜式神名帳』第4巻にも日根郡十座の式内社となっています。
社殿は一間社春日造、檜皮葺きで、庇柱の面取りも大きく、繋梁は水平の和様式です。向拝虹梁両端の獅子鼻だけは江戸時代の後補ですが、組物の多くは桃山時代の様式を現しています。昭和57(1982)年に解体修理を行い、見事な極彩色に復元されています。